この場合、どうしたらいいんだろう。
バレンタインに、拙いながらも渡したチョコを、数馬は嬉しそうに受け取ってくれた。
今思い出しても、頬が緩み、どこか恥ずかしい気持ちになるその出来事が、今作兵衛を悩ませていた。
…ホワイトデー、お返しするべきなんだろうか。 それとも、スルーした方がいいのだろうか。
数馬へのお返しを選ぶ、左門たちを眺めながら、作兵衛はうんうん唸る。
売り場をみやれば、クッキーやらキャンディーやらがいかにも女子好きしそうな包装紙に包まれて並んでいる。
これを、小学生男子ひとりが買うのにはあまりにハードルが高い。
賑やかにお返しを選んでいる仲間には、バレンタインで既に渡してるんだから、作兵衛はお金出さなくていいよと言われてしまっている。
けれど、やはり落ち着かない。
数馬からもらったチョコレイトは、自分の好みを考慮してくれたのだろう、甘味をおさえたトリュフだった。
その気持ちがすごく嬉しかったから、作兵衛はお礼をしたいと思う。
やっぱり自分も連名にしてもらおうと、視線を仲間達に向ければ既にレジに並んで買ってしまっている。
会計を終えて満足げに戻ってきた4人に作兵衛は財布を出す。
「おれも、やっぱり払うよ。」
「いいって。 数馬は用意してないだろうから、気使わせるよ。」
「でもさあ!」
作兵衛が食い下がるも、藤内はとりあってくれない。
結局お金も受け取ってもらえず、作兵衛はますます頭を抱えた。
お返しは、藤内が持ち帰ることにして解散となった。
藤内、孫兵と別れ、左門と三之助と作兵衛が3人で歩いていると、自然、話題は3日後のホワイトデーへと流れる。
クラスの女子にもらったものへのお返しは、学級委員が用意してくれていること、そして今日買った数馬への贈り物の話。
「そういえば、お前らどんなの買ったんだ?」
「クッキーにしたよ。 桜とか抹茶とか、なんか、色がきれいでいっぱい入ってるやつ。」
「数馬、喜んでくれるといいけどな!」
ふうん、と、作兵衛は相づちを打って、考え込む。
確かに、それは数馬が好きそうなものだ。
きっとすごく喜ぶだろう。
そこに、自分が関われないのが、とても悔しく思えてくる。
結局、ああだこうだと言ったところで、作兵衛は数馬に贈りたいのだ。 自分が、喜ばせたい。
その事に、ようやく作兵衛自身、気がついたのだった。
今日の放課後は、やたら賑やかだ。
教卓に置かれた、色とりどりのキャンディーを楽しそうに、女子達が物色している。
作兵衛はその様子を見ながら、鞄の中にいれた包みに意識が向いた。
バレンタインの時もそうだったけれど、やはりどくどくと心臓が脈打ち、自分が相当緊張している事を知る。
藤内の言う通り、迷惑になるかもしれない。 いや、そもそも渡せるだろうか。
はあ、と溜め息をつけば、不安は増すようだった。
今日は気温は低いけれど、風があまりないせいで暖かい。
外を見れば空は明るい青で、勇気づけてくれているようにも思えた。
どうか、数馬が喜んでくれます様に。
そう願って、作兵衛は鞄を掴んで教室をあとにした。
春は刻一刻と近づいているらしい。
先月と比べてさえ、明るい空に、作兵衛は思う。
5時のチャイムが聞こえて尚、空は青い。
いつもの公園に集まり、仲間が用意したクッキーを受け取った数馬が嬉しそうに顔を綻ばせたのは、一時間前。
数馬と藤内、孫兵と別れて、左門三之助も、門をくぐったのを見届けた作兵衛は鞄がずしりと重く感じるのに溜息をついた。
結局、渡すタイミングを逃してしまった。
青い空は、うっすらと端がオレンジかかってきている。
数馬の笑顔が瞼の裏に浮かんだ。
自分が関われなかった笑顔。
嬉しそうに、花ひらくように。
作兵衛は、少し俯いて、やおら顔を上げる。
玄関横に置いてある自転車を動かしまたがると、そのまま全速力で走り出した。
まるで、夜と競争しているようだと作兵衛は思った。
数馬は、もう家に着いているだろう。
そう、思っていたのに。
作兵衛は視界の端に捉えたものに驚いて、自転車を止めた。
急停止だったものだから、大きなブレーキ音と共に後輪が少し浮いたけれどそれに構わず、作兵衛は声を上げる。
「か、数馬っ!?」
「え、あれ、作兵衛?」
振り返った数馬は可哀想なくらいにぼろぼろな姿で立っていた。
作兵衛は、自転車を道の脇に置いてそんな数馬に駆け寄る。
その血相に自分の出で立ちを思い出したのか、数馬はへにゃりとバツが悪そうに笑みを見せて大丈夫だよ、と作兵衛に手を振った。
「ちょっと、そこの木から転げただけで。」
「…っ なんで木なんかに…、ああ、それよりも、血出てんじゃねえか… 痛えだろそれ、絆創膏持ってんだろ。出せ!」
「え、平気だよ、これくらい。 慣れてるから…。」
その言葉を聞いて、作兵衛は頭に血が上るのを感じた。
「何が平気だバカ! いいから出せ! そこに座れ!」
ふくらはぎまでの高さのブロック塀を指してそうまくし立てる作兵衛に、数馬はうろたえながらも従うしかなかった。 剣幕に押されたのは明らかだ。
数馬が座るのを見て、作兵衛もその正面にしゃがみ、受け取った絆創膏を貼り付けていく。
一カ所でないのがまた、作兵衛の眉間のシワを深くさせる。
その、重たい空気を変えたいのか、数馬は努めて明るい声を出す。
「作兵衛、こっちに用だったの? なんだか急いでなかった? ブレーキ音すごかったよ?」
ぺたり、と絆創膏を数馬の膝に貼り付けて、作兵衛は溜息混じりに答える。
「急いでた。 …数馬に用があったから。」
「え?」
ぺり、とまた新しいテープを剥がす。
「数馬は? クッキーの包み持ってねえってことは、もう家に一度帰ったんだろう? なんで木から転げてんだよ。」
「ぼくも、作兵衛に用があって、ええと、」
ぺたり、と今度は頬に貼り付けると、数馬がそちらの目をつむった。
「…ハンカチが、風に飛ばされて木の枝に引っかかっちゃったんだ。 それを、とって。」
見れば、数馬の手は握りしめる形になっている。
「持ってるの、ハンカチか?」
「う…、」
数馬は眉をしかめて悲しそうな表情になるので、作兵衛はどきりとした。 まさか。
数馬が無言で広げたそれは、落ちる時に木の枝に引っかけたのだろう。
大きく裂けていた。
作兵衛が数馬の横に座る。 空を見上げれば、既に夜が二人の頭上に広がっていた。
西の空には明るい星が二つ仲良く並んで、作兵衛と数馬を見ているようだった。
「ぼくに用ってなんだったの?」
裂けてしまったハンカチを、肩から提げている小さな鞄にしまいながら数馬が問うと、今度は作兵衛が唸る番だった。
お前こそおれに用ってなんだよ、と問い返そうとも思ったが、それではせっかくのチャンスを逃してしまう気がする。
どくどくと脈打つ心臓の音が、内側から鼓膜をふるわせる。 落ち着け、と念じながら鞄を開き、中を探れば、すぐに目的のものが手に触れる。
それをぎゅっと掴んで取り出して、数馬を見た。
丸い目が、ひたと作兵衛を見ているので、ただでさえうるさい鼓動が、更に激しくなる。
「これ、渡し損ねたから。」
緊張のあまり、ぶっきらぼうになる声音に作兵衛はうんざりした。
これでは、機嫌が悪いと思われかねない。 ただでさえ、先程大きな声を出してしまったというのに。
けれど数馬は気にしていないようだった。
きょとんと、作兵衛を見て、手のひらにのせられた小さな素っ気ない紙袋を見て、それからおかしそうに笑う。
「すごい、同じこと、考えてた。」
はい、と、差し出された手に、今度は作兵衛が目を丸くする。
数馬が開いた手のひらには、可愛い包みが乗っていた。
「バレンタインのお返し。 作兵衛にしか用意してなかったから、さっき渡すの迷っちゃって。 でも帰ったらやっぱり渡したくなったから。」
数馬の声が恥ずかしげに揺れた。
「おれに、だけ?」
「だって、バレンタインにくれたの作兵衛だけでしょう? 簡単なもので、悪いんだけど。 ね、これ、開けてもいいかな。」
目の利かない、逢魔が時でも、この距離なら数馬の表情が伺える。
ほわりとそまる頬で、幸せそうな笑みを、数馬は浮かべていた。
頷いた作兵衛は、どうしてか泣きそうになって、ぐ、と奥歯をかみしめる。
喜んでもらえた事が、こんなにも嬉しいだなんて、思いもしなかった。 こんなにも幸せだとは、知らなかった。
「わ、かわいい。 たぬきのぬいぐるみだ。」
ころんと、手のひらに乗る小さなたぬきは、通り過ぎようとした雑貨屋で目の端に止まったものだった。 どうにも、数馬に似ていると思ってしまったのだ。
そう正直に言えば数馬は、もう、と口をとがらせる。
「女の子にたぬきみたいって言うのは、よくないよ。」
「かわいいって言ってたじゃねえか。」
そうだけど、と数馬は、もう一度手のひらの中のたぬきをみる。
「じゃあ、この子の名前、作ちゃんにする。」
「はあ!? な、なんでだよ!」
目を剥く作兵衛に構わず、数馬はくすくす笑いながら、大事そうにたぬきの頭を指で撫でる。
「ね、ぼくがあげたのも開けてよ。」
「あ、おお。」
手のひらの中の包みを開ければ箱が出てきて、その蓋をまた開けるとかわいい団子が二つころんと並んでいた。
飾り気のない、ただきな粉がまぶしてあるそれに、作兵衛はきょとんとする。
その様子を見て取った数馬は、少し気恥ずかしげに、たぬきを手のひらの上で転がす。
「甘いものより、こっちの方がいいかなって思って。 ほら、バレンタインはチョコだったでしょう? …お団子作ることってあんまりないから、口に合うといいんだけど……。」
ぱくり、と、団子を一つ口に放り込んだ作兵衛は、口に広がる素朴な味ともちもちとした食感に、思わず、うまい、と呟いた。
「ありがとな。 …すげえ嬉しい。」
おいしいものを食べた者特有の笑顔を向けた作兵衛に、数馬はほっと息を吐いた。
「よかった…。 えへへ、ぼくも嬉しい。 この子、大事にするね。」
言って、数馬が先程裂けてしまったハンカチに、たぬきを包むのをみる。
鞄にしまったのを見届けてから、作兵衛は立ち上がって、帰るか、と言った。
「送る。」
「ええ、いいよ。 家、すぐそこだし。」
「だめだ。 数馬、また怪我しそうだし。」
うう、と恨めしげな声を聞きながら、作兵衛は数馬の家の方向へ自転車を向ける。
問答を諦めた数馬は作兵衛に並ぶ。
「ねえ、来年のバレンタインは、お団子にする?」
「…チョコがいい。」
「甘いもの、苦手なのに。」
「チョコがいい。」
重ねて言う作兵衛に、数馬は首を傾げて、そういうものなの? と言ってくる。
そういうもんだ、と答えつつ作兵衛は内心で来年ももらえる事に、胸を弾ませて自分もまた用意しようと思う。
「そうだ、それ、おれが数馬にやったって、内緒な。」
数馬が、何でと問うてきたらどうしようと思ったけれど、意外にも数馬は楽しげに笑った。
「じゃあ、お団子も内緒、ね。」
そう笑う数馬がやけにきれいに見えて、作兵衛はどうしてかまた、涙腺が緩むのを堪える羽目になった。
空では相も変わらず、金星と木星が仲良く並んでいる。
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