いちごみるくと安全ピン

かしゃん、と音がしたので、作兵衛は視線を落とした。
そこには、三反田数馬と書かれた名札が転がっているので拾い上げ、鞄を取りに行く数馬の背中に声をかける。
「数馬、落としたぞ。」
「えっ ありがとう。」
くるりと振り返りおどろいた顔をした数馬は、にこりと笑んで差し出された手から名札を受け取った。 これ、ピンがもうおかしいんだよね、と言いながら、ポケットにしまう。
「ピン代えればいいんじゃない?」
「もう半年すれば卒業だし、わざわざピン買うのがね。 一個で売ってるものじゃないでしょ。 そんな使うものじゃないし。」
孫兵の言葉に数馬は苦笑してランドセルを背負った。 教科書を置いてきているので、それほど重くはない。
廊下へ通じるドアを開けようとした所で、あのさ、と、少し戸惑った声で呼び止められて振り返ると、作兵衛がこちらを見て首を傾げた。
「それ、裏に入ってるの、あめの包み紙か? イチゴミルクの…。」
「あ、見えた? えへへ、そうなの。」
孫兵の家はとても大きくて、部屋も広々としている。 大きなソファに座る面々も興味深げに数馬をみた。
「え、数馬そんなの入れてたの?」
「うん。 貰ったんだ。包み紙だけ、残してるの。」
へえ、と藤内が頷く。
理由を聞きたそうな一同に苦笑して、二年生の時なんだけどね、と、数馬は懐かしく思い出す。
「転んで怪我してね、別にそんなの日常茶飯事だし、平気だったんだけど、通りかかったお兄さんが手当てしてくれて…、絆創膏とこのアメが一緒にポケットに入ってたみたいでね、くれたんだ。 お礼言おうと思ったら、その前に誰かに呼ばれて行っちゃったから… また会えないかなあって、お守り…のつもりだったんだけど、抜くタイミング逃しちゃって今も入れっぱなし。」
「え、何それ初恋?」
「え? や、考えたことないから、違うと思う。」
もしそうならば、必死で探しただろうけれど、数馬にはそれをした覚えはない。 名札に入ったままになっているのも、それほど強い思いの為でもないと、自分が一番よく知っている。
数馬はあっさりと首を横に振って否定した。 そうすると、何故かまた作兵衛が手を差しだしてきたので、数馬は作兵衛に向き合ってどうしたの?と目を瞠る。
「名札。 ピンがそんなんじゃ危ねえだろ。」
「直せるの?」
受け取ったばかりの名札を作兵衛に渡すと、作兵衛は自分の名札のピンとそれとを交換した。
「え、悪いよ…!」
「家帰ればあんだ。 安全ピンなんて山ほど。」
そう言って、また数馬の手に名札を戻す作兵衛に、何故か藤内が吹き出した。
「いいじゃない。 貰っときなよ数馬。」
「う、うん…、ありがとう、作兵衛。」
「おう。」
作兵衛がぶっきらぼうにそう言うのを聞いて、数馬は戸惑ったけれど手の平にのせられた名札を左胸に刺して、じゃあね、とみんなに手を振り玄関の扉を開ける。
途端にじとりとした梅雨独特の空気に包まれて、数馬はいっそ早く夏が来ればいいのにと、思った。







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