白い雪に、白い息がほわりと浮かぶ。 数馬は一歩二歩、郵便受けまで足跡をつける。
「初詣……、結局一緒に行かなかったなあ」
新聞の日付を見て、数馬は眉を下げ苦笑してひとりごちた。
またひとつ白い息が舞うのを眺めながら、どうせなら一緒に行きたかったな、と思い浮かべた顔は作兵衛で、数馬はそれを振り払うように大きく首を横に振る。
ああ、もう、どうかしている。 顔に熱が集まるのを感じて、あっという間にかじかんでしまった手のひらを頬にあてた。
「作兵衛は今頃、勉強してるんだから」
そう呟いて、もう一度ふるふると首を横に振る。
冬休みが明ければすぐに受験だから、きっと今頃必死だろう。 数馬から見れば、もう十分すぎるほどだと思うのだけど、本人から不安は消えないみたいだった。
ほわりと浮かぶ白い息は、まるで寂しい気持ちが目に見えているみたいだった。
つい、この間読んだ本にそんな表現があったから、引きずられるようにして考えて、また数馬は顔を赤くした。 もう、はやく家に入ろうと数馬は自分のつけた足跡を辿る。
家の中は暖かかった。 親は仕事に出かけてしまっているから、一人きりで、それは慣れているのだけど、雪が降っているとやたら静かに感じられて、なんだか気分が落ち込んでしまう。
数馬は机の上に置きっぱなしだった携帯を拾い、ボタンを押す。 ディスプレイに明かりが灯るけれど、着信の知らせはない。 呆れるほどなんの変化もなくて、数馬は落胆して机に携帯を置き直す。
こちらからは、連絡できない。 作兵衛の邪魔は、できない。
目を閉じて、ベッドに横になる。 どうしてか、数馬は今ひどく、作兵衛に会いたかった。
(冬休み前も、会えなかったし、最近顔見てない)
数馬は寝返りをうって、最後にあったのはいつだっけと反芻する。 閉じた瞼の裏に桜が降って、反射的に目を開け体を起こした。
胸を押さえずとも動悸がはやまっているのがわかる。 今、室町の頃を思い出すなんてと、数馬は深く息を吐き出した。
会っていないと、ふとした時に室町の記憶が数馬の中によみがえるようだった。
数馬がよく覚えているのは桜だった。 作兵衛を思い出すと、桜を思い出す。 舞う桃色。 嬉しそうな作兵衛と、泣きそうな作兵衛。 そうして少し時が過ぎて、逞しくなった作兵衛を思い出したところで、そうじゃない、と数馬はまたぎゅうと目を閉じる。 違う、今思い出したいのはそっちじゃない。
冬休みの、前。十二月になったばかりの頃、だ。 それから今まで会っていないなら、この世で再会してからは、一番長い時間合っていない事になる。
はっきりそう認識したら、よけいに作兵衛に会いたくなってしまって、数馬は思わず不満のようなものを口から零した。
「もうううううう! なんでこうなの!」
これでは室町の頃からなにも変わらないではないか。 あの時は自分から離れた、という違いがあるけれど、それでも会わないでいると、思いがあふれる。
結局このままでは、ひとりぐだぐだと深みにはまってしまいそうなので、数馬は外に出ようと決心をする。
これでもかと着込んで、凍てつく風に挑む。
雪はいつの間にか止んでいた。
***
踏む度に、雪はきしむような音をたてる。 作兵衛の住む街へは、歩くとそれなりに時間がかかった。 ましてや雪だ。 まだ道の半分にも来ていない。 ……作兵衛の家についても、インターホンを押す事は出来ない。 それでも、なんだか足はそちらへそちらへと向いてしまう。 バカみたいだと思いながらも、作兵衛へと近づいていると思えば、なんだか嬉しくなった。
そもそも、どうしてこんなに作兵衛を好きになってしまったのだろう、と数馬は自分に問う。
室町の頃とは関連づけずに考えたくて、真っ白な気持ちになれるよう、視界一杯の真っ白な雪を見る。
再会してきた時に、飛びついてきた作兵衛は、ただ必死だった。 そして温かかった。
遊園地に行った時は、庇われてしまった。 その時の作兵衛の嬉しそうな顔に、苦さが口の中に広がる思いで、数馬は知らず眉間に皺を寄せる。
作兵衛はいつだってまっすぐで、数馬に対してまっすぐで、だからいつも目を反らせない。
(本当に、まっすぐ。 作兵衛は痛々しいほどまっすぐで、だからすぐ傷つく。 ……そういえば、あの、再会した時以来、作兵衛が泣いてるのって見た事ない……?)
室町ではあんなに泣いていたのに。 数馬はやはり、室町の記憶を持ち出してしまったけれど、それには気付かずに、首をひねる。 下ろした髪がふわりと揺れて、その理由が思い当たった。
(ぼくが、女の子だからか)
そうだ、作兵衛は泣き虫な癖にかっこつけだからだ。 数馬は少し寂しい気持ちになった。 もう、作兵衛が自分の前で泣く事はそうないのだろう。 それが、寂しい。
冷たい風が、剥き出しの頬を刺すように吹き抜けていく。
気がつけば、この角を曲がれば作兵衛の家、という所まで来ていた。 数馬は足を止める。 本当に、ここまで来てどうしようというのだろう。 来ても、会えないのに。 頑張ってるなら、その邪魔をしたくはないのに。
なぜだか泣きたい気持ちで考えて、けれど引き返す事もすぐには出来なくて、数馬は身動きが取れなくなった。
足も、もう冷たくて痛いほどで、どうして自分は家から出てしまったんだろうと後悔していると、肩をぽんと叩かれて、驚きのあまり飛び上がるようにして振り向いた数馬は絶句した。
そこにいたのは、作兵衛だった。
***
「数馬だ」
嬉しそうな顔で、作兵衛はそこに立っていて、数馬はまるで白昼夢を見ている気持ちになった。 どうして外に、とクラクラする頭に言葉がグルグル回る。 数馬を一番混乱させたのは、目の前に作兵衛が現れただけで、嬉しい気持ちで一杯になったからだった。
先程の寂しさは吹き飛んでしまって、胸は違う痛みを訴える。 本当に、どうしてこんな気持ちになるのだろう。 どうして作兵衛が好きなのだろう。
「びっくりした。 左門や三之助と約束でもしてたのか?」
「え?」
驚きすぎて放心してしまった数馬の返事ともとれない問い返しに、作兵衛は首を傾げて苦笑する。
「だって、数馬がここにいるのなんて、俺や左門や三之助の家にいくくれえしか、理由ねえだろ?」
その言葉に、数馬はゆるゆると赤くなった。 確かに、そうだ。 そして、作兵衛と約束をしていない以上、他の二人に用があると思われて当然だった。
「数馬?」
「作兵衛は? なんで、外にいるの」
「腹減ったから、肉まん買ってきたんだ。 でも、タイミングよかったな。 なあ、これからどっちかの家に行くなら、みんなでこれ食おうぜ」
作兵衛はひどく機嫌がよかった。 けれど二人とは全く約束をしていない数馬は、窮地に立たされた気分になる。 作兵衛に会いたかったから来てしまったなんて、言いづらいけれど、都合のいい辻褄なんて見つからない。 火照るばかりの顔を伏せて、両手を組みあわせる。
「な、なんとなくきただけ、なの。 えっと、家にいても暇っていうか、なんだか、最近作兵衛の顔見てないから、足が向いたっていうか」
言い訳めいた事を口にする数馬は、もう消え去りたい気持ちだった。 変に思われるかもしれない。 告白のように聞こえてしまったらどうしようと、下げた頭を上げられないから、作兵衛の顔が朱に染まったのに気付かなかった。
少しの沈黙が、数馬を更に追い詰めるようで、逃げ出したくなる。 けれど数馬が動くその前に、作兵衛が沈黙を破った。
「じゃあさ、おれんちでこれ食おう」
その言葉の持つ温度につられて、数馬がようやく顔を上げると、作兵衛はもう決まったとばかりに歩き出す。
「いいかげん寒いしよ、暇なんだろ数馬。 寄ってけよ」
「い、いいの? 勉強してたんじゃ」
作兵衛を追いかけると、その耳が赤く染まっているのが見えて、数馬は頭で考えるより先に口に出してしまった。
「作兵衛、耳赤い」
「……!」
作兵衛は一瞬立ち止まった後、早足になって、乱暴な口調で、寒いせいだ! と大声になる。 けれど思い直したのか、立ち止まり振り返った。
「ていうか、数馬が、あんな事いうからだ。 おれに、会いたかったって聞こえる」
そういう作兵衛の顔は、本当にこれ以上ないと思うほど赤く染まっていて、思わず数馬は笑ってしまった。
「笑ってんなよな……」
拗ねる口調になる作兵衛は、それでももう歩調を早めはしなかった。 隣に並ぶ赤い顔を少し上から眺めて、数馬は、聞こえないほどの小さな声で、そうだよ、と呟いた。
やっぱり作兵衛には届かないそれは、雪が拾ってくれたみたいにそっと、消えていった。
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