「数馬、」
作兵衛が戸をたたいて部屋を覗き込めば、数馬が文机に向かっていた。
「んー? 何、作兵衛。」
「今日うちのちび共が世話になったろ。 ありがとな。」
そう言ってこちらを見向きもしない数馬の隣に座ると、作兵衛は机の上の紙に目をやる。 薬草の効能と容量が書かれたそれに少し目を瞠っていると、勝手に見るな、と額をこづかれた。
「それと、わざわざ、お礼言いに来なくていいよ。 それが保健委員の仕事なんだから。」
「や、でもあいつら治療中、ピーピーうるさかったろ。 わりいな。」
確かに、と数馬は苦笑した。
よくなる為の処置ではあるのだけど、傷口を触ったりしみる薬を塗りつけたりするので、下級生には痛い痛いと泣かれる事もある。 最初はそれがすごく嫌だったけれど、数馬はもう慣れたよと笑った。
「作兵衛だって、昔はしみるとか、痛いとか言ってたし。」
「それっ、は、最初の頃だけだろう。」
気まずげな声を出して、数馬を見ればくすくすと笑っている。 なんか機嫌いいな、と作兵衛は思ってどこか嬉しくなった。
「そう言えば、急に、文句を言わなくなったよね。」
「…まあな。」
その言葉を数馬がどう取ったのか、作兵衛にはわからない。 けれど数馬は確かに笑んだ。
数馬は大概笑っているけれど、こんなふうに気を許しきっている事はあまりないのだ。 数馬が一番気を許しているのは藤内だろうと作兵衛は思っているし、それは事実だった。
だから、ほんのときたま訪れる、この瞬間に、作兵衛は泣き出したいほどの嬉しさでいっぱいになる。
「作兵衛が、怖がらなくなったのって、本当急だっただろ? だから保健委員の先輩が何か言ったのかなって聞いてみたんだけど、誰も知らないよって言ってて。 でも何か理由あったんだろう?」
なんだか気になってたんだよね、と数馬が作兵衛の目を見るので、作兵衛は顔を背けた。
理由は、ある。 けれど数馬に言うのは、恥ずかしすぎた。
「忘れた。」
「うそつき。」
「何とでも言え。」
医務室へ行く時、食満に言われた言葉があった。 それが、原因だ。
「作兵衛、治療の時保健委員の顔、見た事あるか?」
作兵衛は首を横に振った。 そうすると、頭に手を置かれ、よく見てこい、と言われた。
自分の怪我は比較的軽い部類に入るらしいので、いつものように同じ一年の数馬が担当してくれる。
彼は、作兵衛を見た途端その太い眉をしかめた。
「また、けがしたの。」
「…おう。」
腕を差し出す、処置をされる。
いつもと同じに痛いと呻いてしまってから食満の言葉を思い出し、数馬を見た。
数馬の顔は、辛そうに歪められていた。
よく考えれば、せっかく手当てしているのに、文句を言われ続けるのだ。 保健委員は。
最後にありがとう、と言われてもどうしたって理不尽な思いは残るだろう。
その事に気づいた作兵衛は、もう、どんなに痛くても、それを言いはしないと決めたのだ。
こんなこと、本人に言えるはずもなかった。
作兵衛は改めて、数馬に視線を戻した。 彼は既に問答を諦めて先程の作業に戻っている。 薬草の名前、効能、医務室での使用頻度、そういったものを、自分なりの言葉で、書き付けているようだった。
処置中、痛いと言われる事を、もう慣れたと数馬は言った。 確かに、もうあんな辛そうな数馬を医務室で見る事は殆どない。
嫌な思いに囚われず、できない事に屈しず、数馬は先へ先へと歩く。
「お前、かっこいいな。」
作兵衛の言葉に、数馬は動きを止めた。
咄嗟の事に反応できなかったのか、多すぎた墨がぽたりと紙にシミを作った。
「数馬?」
黙ってしまった彼の顔を見て、作兵衛は口を閉じた。
真っ赤だ。
あの、数馬が。
筆を持って、紙を見たまま、数馬が固まっている。
作兵衛は思わずその様子をまじまじと見てしまった。 数馬がここまであからさまに顔に出すのは、とても、珍しい。
呆気にとられて、ぽつりと作兵衛は問うた。
「おれ、そんなに恥ずかしい事、言ったか…?」
その言葉が、宙に舞った途端、ますます数馬の顔が赤くなったものだから、作兵衛にまでその熱が伝わるかのようだった。
自覚のないままに作兵衛の頬がじわりと熱くなる。
数馬は、内心で舌打ちをした。
作兵衛の様子から、自分がどんな顔をしているか分かろうというものだ。
なんで、こいつはこうなんだと、数馬は熱くなるばかりの顔を持てあます。
あまりに素直な賞賛に、感情も表情も繕う事ができなかった。 そんな事滅多にないから、数馬はパニックに陥りそうになる。
早くこの空気を壊さなければと思うのに、頭は正常に動いてはくれなかった。 ああ、もう、と数馬は思う。
作兵衛といると、思い通りに行かない。
疎ましいだけだと内心悪態をつきながらも、本当はそれだけじゃない事を、どこかで、知っていた。
暑くなるばかりの季節に、涼やかな風が吹いた。
その風が少しでも、この熱を奪ってくれればいいのにと、数馬は硬く目を閉じる。
数馬、と掠れる声で作兵衛が呼んだけれど、まだ顔を上げる気にはなれずに、聞こえないふりを、した。
もどる