「――成る程ね、」
ようやく落ち着きを取り戻した保健室の中。
作兵衛達からひと通りの説明を受けた数馬は、小さく頷くとすぐに平太の頭を覗き込んだ。
彼女特有の柔らかな雰囲気はそのままに平太を観察する濃紫の瞳が微かに閃く。
僅かな異変も逃さぬといわんばかりのその鋭さに、作兵衛の喉がゴクリと鳴った。
「…あぁ、結構腫れてきちゃってるな。吐き気や目眩はない?」
「…それは…大丈夫です」
「そっか、よかった。…伏木蔵、氷のうは?」
「今できましたぁ」
「彼の頭冷やしてあげて」
「はぁい…」
テキパキと指示を出しながら戸棚を探る数馬に、瞳を真っ赤にさせた喜三太がおずおずと近づく。
「…先輩、平太のケッシュ治りますかぁ?」
「うん?…あぁ、心配ないよ。皮下血腫っていうのはね、タンコブの事だから」
「は?タンコブ…?!」
やけに耳馴染みのあるその単語に、喜三太だけでなく作兵衛までもが目を丸くさせる。
「うん、見た感じ重傷でもなさそうだし普通のタンコブだと思うよ。そう言えば分かりやすいのに、伏木蔵ったら大袈裟にするのが好きだから」
「だってその方がスリル気分を味わえるでしょ?」
「保健委員が相手を不安にさせてどうすんの!」
全く反省する気のなさげな伏木蔵に、もう…と眉尻を下げる数馬。マイペースな後輩に彼女も手を焼いている様子である。
「良かったぁ…平太が死んじゃうかと思ったぁ…」
ヘタリと床にしゃがみ込む喜三太に、「勝手に殺さないで」と平太は思うが。
不安に駆られていたのは自分も同じなので、大人しく処置を受ける事にする。
そんな二人の様子を眺めた数馬は苦笑いで喜三太へと向き直った。
「うん、心配だったね。…だけど、周りが騒いだら怪我した本人はもっと不安になっちゃう。山村さんも、落ち着いて見守ってあげた方が良かったかな」
「はぁい。ごめんなさい…」
「でも、山村さんの気持ちは充分伝わった筈だよ。こんなに心配してくれる友達が居たら嬉しいよね」
一際柔らかな声で落とされた言葉に、間髪いれずにコクリと首肯する平太。そこでようやく喜三太の顔がふにゃあと緩んだ。
(――すげぇなぁ、)
もしも言霊というものが実在するのならば、彼女の言葉には人に安心感と幸福をもたらす力が宿っているに違いない。
飴と鞭というには甘やかで優しいそれに、作兵衛は思わず舌を巻く。
と、不意に彼女と視線が絡まり鼓動が跳ねた。
「作も。こういう時こそ一番冷静にならなきゃね」
「す、すまねぇ…」
何となく落ち着かない内心で謝罪の言葉を紡いだ時、保健室の扉が再びガタタと振動し始めた。
――バシーーンッ!!
「平太っ、無事か!?」
「わぁぁん平太ぁ〜!!」
「…用具委員会って修理する側じゃないの…?」
またしてもぞんざいな扱いを受けて傾いた扉に、伏木蔵は半目で呟く。
しんべヱから話を聞いてすっ飛んできたのだろう。扉の破壊主である食満はゼエゼエと息を乱しながら小脇に抱えたしんべヱを下におろした。
「ごめんね平太、僕のせいで…!」
「大丈夫。気にしないで…」
膝に泣き付くしんべヱを宥める平太の顔は先程よりも血色が戻ってきている。
その様子にホッと胸を撫で下ろした食満は、処置を施す数馬に尋ねた。
「見たところ問題なさそうだが、どうなんだ?」
「特に目立った異変もないし、時間が経てば痛みも腫れもひいてくる筈です。心配ありませんよ」
「そうか…」
「でも今日は大事をとって休ませてあげて下さいね。それと吐き気や手足の痺れがでた場合はすぐ病院へ」
「分かった」
武闘派と呼ばれる食満にさえ怯む事なく指示を出した数馬は、平太の頭に湿布を貼付し笑顔を向ける。
「はい、おしまい。今度からは気をつけてね」
「ありがとうございました」
「すまんな、助かった。…じゃあ作兵衛」
「はい」
「俺は平太を寮まで送って行くから、その間頼む」
「分かりました」
「後で扉の修理に来るからな」
平太を連れて退室する食満を見送った作兵衛は、続いてしんべヱと喜三太に向き直る。
「よし、俺達は小屋の修理に戻るぞ」
「「はぁい」」
「…あ、作兵衛はちょっと待って」
「?…おう」
「じゃあ先いってますね」
「私はトイペ補充に行ってきますぅ〜」
「うん、頼むね」
一年達の声が扉の向こう側に消えるのを確認した数馬は、作兵衛に椅子へ座るよう促した。
「…何だよ」
「僕が気付いてないとでも思った?…腕、見せて」
ぎくり。
大きく肩を揺らす作兵衛であったが、笑顔で凄まれれば拒否出来る筈もなく。渋々椅子に腰を下ろして上着の袖を捲ってみせた。
それを確認した数馬の眉間に小さな皺が作られる。
「…下坂部君を庇ったの?」
「庇おうとした、の間違いだろ…」
間に合わなかった訳だしよ。
苦々しく吐き捨てた作兵衛の右腕には、数pに及ぶ擦過傷が刻まれていた。少量の出血はすぐに止まりそうだが、赤く腫れた打撲跡が痛々しい。
「で、黙ってやり過ごそうとしたんだ?」
「後輩守り切れなかった罰…にしちゃあ甘すぎるけどな」
「…ふーん、…」
「?!いッ…!!」
傷口に容赦なく消毒液を塗り付けられ、作兵衛の体が短く跳ねる。何すんだと抗議しようとした声は、数馬を見た途端ひっこんでしまった。
やばい、この顔は怒っている時の顔だ。
「その上彼を背負ってきたんだよね?このまま放ったらかして化膿でもしたらどうするつもりだったの?」
「…これ位大丈夫だって」
「大丈夫じゃない。修理する為の大事な右手でしょ?お願いだからちゃんと処置させてよ」
「…わ、分かった。悪かったよ…」
「…ん、分かればいいんだ。…それと、作は立派に下坂部君を守れたと思うよ」
「へ?」
「作の腕が彼への衝撃を半減させたお陰で、頭の傷はタンコブにとどまった。もし頭が切れていたら、縫う羽目になっていたかも知れない」
「そ、そうなのか…?」
「うん。だから自分を責めないでよ」
――はい、終わり。
にこやかに告げられ、視線を落とした先にはきっちりと包帯を巻かれた腕がみえる。
気付かぬ内に保護されていたそれをまじまじと見つめた作兵衛はぽつり呟いた。
「――やっぱすげぇな」
「うん?」
「手際も勿論だけどよ。…何て言うか、数馬の処置は不思議と心まで癒される。なかなか真似出来ねぇ長所だよ」
「そんな事…」
「いやマジで。看護婦になったら最強だと思うぞ」
「えぇっ!?そ、そうかな…?」
真顔で見つめられ、数馬の頬に一気に熱が集中する。
突然の称賛にわたわたと慌てはじめた彼女の様子に、思わず作兵衛の口からふっと空気が漏れた。
(…あぁ、いつもの数馬だ)
おっちょこちょいで恥ずかしがり屋で。
普段と変わらぬ仕草に安心してしまうのは、今回垣間見えた彼女の見知らぬ一面に戸惑っていたからに他ならない。
変だ。数馬が急に遠い人物にみえた事が、妙に寂しく感じられたなんて。
真っ赤になって照れるその顔を、もっと見せて欲しいだなんて。
自分でも理解できない感情を延々と分析するつもりはない。思うままに行動すれば、おのずと答えもみえてくる筈だから。
だから、もう少しだけ見つめさせてくれ。そうすればこの後に待つハードな修理だって頑張れる気がするんだ。
胸に灯る温かな感情はそのままに、彼女に伝える言葉はただひとつ。
「処置ありがとな、数馬」
「!どういたしまして――」
笑顔で贈られた感謝の言葉に、紅く色づいた花の顔が愛らしく綻んだ。
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