数馬は、溜め息をつきたいのをこらえた。
作兵衛と一緒に三之助を追って部屋を出たのはよかった。
けれど作兵衛が通ったときは平気だった床が、数馬が通ったとたんに抜け落ちのだった。
それなりの音がしたのだけど、三之助を追う作兵衛にその余裕はなかったらしい。 そのまま行ってしまった。
それより、作兵衛が平気で、自分だけが落ちてしまったと言うのが数馬が溜め息をつきたくなる要因だった。
やせなきゃいけないかもと、半ば本気で考える。
しかしこうしてても仕方がない。
よいしょと床に手をつき、体を持ち上げようとして、あれ、と気づいた。
抜け落ちた床は綺麗に四角く切り抜かれているようだ。 これではまるで本当に落とし穴だ。
ぐん、と、床上に上がれたのは自分の力ではなかった。
数馬は悲鳴をあげる間もなく、何者かの肩に担ぎ上げられ、全速力で運ばれている。
ただ確かなことは、数馬に温もりが伝えられていることだ。
これは、お化けではない。 …人間だ。
「っ!!」
「うわ、数馬ほんとに落ちたんだな。」
見事に抜け落ちた床を見下ろして、三之助は不思議そうな顔を作兵衛へ向ける。
「で、数馬はどこ行ったんだ?」
作兵衛は拳をぎゅっと握りしめて、誰もいない穴を凝視し、先ほどの部屋へ駆け込む。
数馬は、どこにもいない。
「・・・オレらを追おうとして迷ったとか?」
「あいにく数馬は方向音痴じゃねえんだよ。」
作兵衛はそう言うと、三之助の腕を乱暴につかみ、部屋から飛びだし角を折れ その勢いのまま2階へと駆け上がる。
「おまえ、絶対にはぐれんなよ。 んな余裕ねえんだからな。」
「いや、二手にわかれよう。」
三之助は乱暴に作兵衛の腕を振り払うと、くるりと方向転換をする。 作兵衛が怒りの形相で腕を伸ばすも、三之助はひらりと交わしてしまった。
「作兵衛、オレなら、作兵衛が思いもしないところへ行ける。 幸い、オレも作兵衛も腕には自信あんだろ。 何かと出くわしても、逃げ切れるくらいは。 携帯だって電波通じてる。 落ち着け、作兵衛。 ここは室町じゃない。」
そう言って、三之助は作兵衛の目に怒り以外の色が宿ったのを見つけると、足を踏み出した。 あっという間に遠ざかる背中をみて、作兵衛はくるりと後ろを振り返り、三之助に負けないくらいの勢いで走り出した。
藤内はくるりと辺りを見渡した。
隣には左門がいてその向こう側に、孫兵がいる。
3人は赤いソファに座らされていた。 この部屋は他で見た部屋よりも幾分広い。
一体、なんのための部屋なのか。 藤内がめまぐるしく思考していると、声を掛けられた。
「もうじき、お前らの仲間が来るから、安静にしていろ。」
外が暗いせいで、明かりのつけない部屋ではそう言った相手の顔をはっきりと見ることは難しい。 けれどこの懐かしさ。 藤内はこの人物を知っている。 そう、人だ。
お化けなんて事はない。 この人が化けて出るなんて、とても似合わないことだ。
藤内が視線をまた隣へ戻すと左門はようやく血の止まった膝に息を吹きかけ、少しでも痛みを和らげようしている。
孫兵の心配そうな目付きに気づいた左門はからりと笑って見せた。
「平気だ、孫兵!」
先程、目測を誤って壁に激突してしまった時、事もあろうに、その壁がぐるりと回ったのだ。
どんでん返しだ。
そう認識するのと、床に膝を強く打ち付けたのは同時だった。 その時に擦ってもいたらしい膝は皮が擦りむけ周りが顔を青くさせるほど血を流していたが、左門はその痛みよりも、驚いてこちらを見ている人物に釘付けになった。
「左門、」
「ああ、僕もそうだと思う。」
藤内の短い問いかけに答えた左門は、孫兵をみる。
孫兵も小さく頷く。
・・・果たして、ここには、あと何人いるのだろう。
(いつだったか、守るって言ったのは、おれなのに…!)
作兵衛は手をぎゅうと握りしめて、数馬の姿を見つける為に力の限り走っている。
どちらへ行ったのかと思考すれば、足が止まってしまいそうだ。 作兵衛はいつもの迷子探しの勘に頼ることにして、ただひたすら辺りに目を配る。
「数馬あ!」
さっきから、何度呼んでいるだろう。 返事は一向にない。
既に声の届かない場所にいるのだろうか。 そうかもしれない。
けれど、作兵衛は数馬の厄介な性格を知っている。
もし、何かがあったとして、自分で何とかしようと考えているなら、数馬が返事をすることなどないのだ。
「っの、ばかやろ、」
それでも見つけてやる、と作兵衛は走る足に力を込める。
ふと、視界の端を掠めたものがある。
ふわりと優しい色のスカートだ、と一瞬遅れて認識した作兵衛は、たたらを踏みながらも方向転換をする。
「…っ!」
走る数馬の手首をつかめば、息を飲んだ数馬が振り返った。
「!、さ、さくべ」
「っと、見つけた…っ」
切れ切れの息でやっとそれだけ言う作兵衛に、数馬は慌てたように、左右を忙しなく見る。
「か、隠れないと、ぼく、なんとか逃げてきたんだけど、」
数馬が言い終わらないうちに、騒がしい足音が後ろから迫ってきた。
顔を見合わせた二人は、手近な部屋へ入り、家具の影に身を潜める。
「っ、」
作兵衛が、数馬を後ろに追いやるように動いたので、数馬ははっとして作兵衛を見た。
自分を庇うように前に立つ作兵衛の背中は少しも震えてなんかいなかった。
・・・怖さなど、何処かへいってしまいそうだ。
(おれが傍にいる時は、守ってやる。)
あれは、遊園地に行った時だ。
ずるい、と数馬は思う。
守られるつもりなんて無いのに、守られるだけの子になんて、なりたくないのに。
それなのに、作兵衛の背中をこんなにも頼もしく思えるなんて。
結局、数馬は作兵衛に守られているのを感じて心臓がぎゅっと締め付けられるように苦しくなる。
思わず、目を伏せたときだった。
足音が止まり、勢いよく扉が開く。
作兵衛は、自分の影に数馬が少しでも隠れるようにと更に前へ出る。
数馬はそれに気づいて、ぎゅ、と作兵衛の服の裾を掴んだ。
ぼくだって一緒にたたかう、との意思表示のつもりで。
・・・家具の影にいるとはいえ、隠れきれるとも思っていなかった二人は、すぐに見つけられたことでは動じなかった。
動じたのは、お、いたいた、とこだわり無くからりと笑うその顔にだった。
懐かしい、その顔は紛れもなくあの学園で見た顔だ。
何度、迷惑を掛けられただろう。 何度頼もしいとおもっただろう。
(七松先輩・・・!!)
危うく声に出してしまいそうだった二人は、すんでのところで息を飲み込む。
そんな数馬と作兵衛を不思議そうに見るその人は、どう見ても七松小平太その人に見えた。
三之助がこの場にいたらなんと言っただろう。
ただ言えることは、室町の記憶はどうやらなさそうだと言うことだ。
あの頃のように、悪い人ではないという確証はどこにもない。
相も変わらず数馬を後ろにかばう作兵衛にその人は申し訳なさそうに、後ろの奴に謝らせてくれないかと言って、勢いよく頭を下げた。
「数馬ってあいつらは呼んでいたな。 怖がらせたみたいですまない! 怪我した奴がいるから手当てしてやってほしくてな。」
「…怪我、」
驚きのあまりに、頭にうまく入ってこない。
数馬は、そろりと、作兵衛の後ろから横へと移動しようと動いた。
それでも、作兵衛は数馬の前に腕を出し、これ以上前に出るなと示す。 仕方なしに数馬は、その腕の後ろから質問する事にした。
「誰が、怪我したんですか。」
「左門と呼ばれていた奴だ。 転んだ拍子に膝をすったんだな。 仙蔵はこの屋敷には救急箱のようなものはないと言ったら、あいつらが数馬なら用意があるというから連れていこうかと。」
(仙蔵・・・)
数馬と作兵衛は目を見合わせた。 懐かしい名前にくらりとする。
こうなると、自分の委員会の先輩もいるのだろうかと考えてしまう。
けれど今はそれよりもと、数馬は頭を切り換え口を開いた。
「…なら、初めからそう言ってください。 怪我したのは左門だけですか?」
そう言って立ち上がる数馬に、作兵衛はため息をついた。
怪我人がいるならば、数馬はどうしたって動く。 それが例え嘘だとしても、自分の目で確かめなければ気がすまないだろう。
作兵衛も立ち上がり、数馬の手をとる。
このままだと、会話をしながら二人が並んでしまいそうだったからだ。
まだ、信用はできない。 ならば少しでも、守れるように動かなければ。
数馬は作兵衛の考えがわかってしまって、胸が忙しなく騒ぎ立てるのを聞いた。
どうしてだろう。 作兵衛は、こんな男の子だったっけと、混乱したままの頭で思う。
自分が今女の子だからだろうか。 だとしたら、急に自分が弱くなったように感じてしまう。
「作兵衛、」
「…手、離せってのは聞かねえぞ。」
「だ、大丈夫だよ。 ぼくだって信じきってる訳じゃないんだから。」
「当然だ。」
「ぼくじゃ、なんにもできないって思ってる?」
「思ってねえ。」
「じゃあ。」
離して、と数馬が言うと、ひときわ強く、ぎゅうと握りしめられて数馬は困惑した。 作兵衛、とうわずる声で抗議をする。
作兵衛は顔を歪めて、口を開いた。
「お前、なんかあっても呼ばねえだろ。 もう、探すの嫌だ。 あんな思いすんのは嫌だ。 だから、離さねえ。」
大きな背中を、ともすれば見失いそうなその背中を追いながら聞く、作兵衛の言葉に、数馬は思わず、そんなのわがままだ、と言ってしまった。
心配しての事なのにそう言ってしまっては怒るかと思った作兵衛は、けれどそうはせず、ひとつ、そうだよ、と頷くので、数馬は追っている背中が立ち止まっているのに気づかなかった。
ぐっと作兵衛に腕を引かれて止まる。前を見れば、何やらその人は壁を押し始めた。
もしかしてと、予感がよぎる。ちらりと作兵衛を見れば、彼はまっすぐその人を見ている。
その、目に、どきりとしてしまい、殊更に繋いだ手が落ち着かなくなってくる。
作兵衛は、自分の気持ちをわかっててこんなことをしているのかと疑いたくなってくる。
そうだとしたらとてもいじわるだ。
胸が苦しくて、たまらなくなる。 ・・・好きだと、隠すのが難しくなる。
悟られてしまうのが怖くて、数馬は手を振りほどこうとした、その時、音をたててぐるりと壁が動いた。
はっとして、そちらを見ると奥に部屋がある。
赤いソファに見慣れた3人が、座っていた。
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